人生が後半戦に入ったなあと思う。
あとは燃えつきるだけのいつかに向けて、難しいことは考えずに素直にでたらめに突き進んでいったらいいのじゃないかと思う。
2つほど前のエントリーで、体の不調がもたらす主観を書いたが、この夏は、そんな体の割に随分元気な自分を発見した。
一人でやれることをやりつくして、今まであえて避けていた団体プレーへの心の準備が整った感じもする。
「早くいきたいなら一人で行け。遠くにいきたいならみんなで行け。」
残りの人生は、自分ひとり「ではない」力で、どこかに向かってみたいという気持ちが強くなっている。
個々の性格というのは、時にその人の身体を守る役割を果たしているのかもしれないなあと、考える。
何かと頑張りきれないのが自分の悪いところだなあと常に感じながら生きてきた。
あちこちに気持ちが行ってしまい、継続してコツコツ積み重ねることができない。好奇心旺盛といえば聞こえがいいけど、せっかくのギフトを、チャンスを、つかみかけた何かを、そのせいで無駄にしている感がつきまとう。
なにか一段落するたびに、必要以上に弛緩してしまい、時間を無駄にしてしまう。その時間の長さが、得たものを忘却の彼方に押しやってしまう。
それは性格のせいでもあり、決してタフではない身体のせいでもあった。
10年ほど前に良い鍼の先生に出会い、身体のバランスの悪い部分を見つけてもらい、そのことからくるしんどさに共感してもらうこともでき、確実に私の身体は楽になってきている。
ああこれで私は頑張れる、身体が動くということはそれだけ密度高く経験でき、継続もできるのだ!…と、感じ始めていた。
活動量が多い人の見ている世界が、私にも見え始めている気がしていた。
眼の病気の発覚。そのせいか、加齢のせいか、もともと悪かった視力もさらに不安定になる。
見えないというのは思いの外エネルギーを奪うものだ。
日々の地味な疲労に加え、このままいけば生活が不自由になるかもしれないという未来予測が、先行きを見づらくする。
ある瞬間突然に起きた症状のせいで、ああ社会生活が終わった…と本気で覚悟をした日もあった。(幸いなことに大事には至らなかった)
未来に向かおうとする気力は、明日はないかもしれないという現実にその力を奪われる。
今年の健康診断では、また別の、複数の検査にひっかかった。
どれも緊急性こそないけれど、受け流して良い状況でもない。生活に制限がかかるわけではないけれど、敢えて負荷がかかる道を選ぶとなれば躊躇するだろう。
今の自分を乗り越えるためにエネルギーを費やすことが、本当に必要なことなのか?
気持ちが立ち止まる。
まるで、あの手この手でブレーキをかけられているような感覚じゃないか。
頑張れない自分というのは、その身体を守るためのストッパーだったのかもしれない。
次々と気まぐれに集中力が動き回るのは、一箇所に負担をかけないための仕組みなのかもしれない。
いっそ。
前進を選ばず気まぐれに動き回る、そのこと自体にエネルギーを費やすことが本領なのか。
身体という容れ物と、自由なようでどこまでも容れ物に繋がれたままの性格を、思う。
芸能人の不倫、それ自体はどうでもいい話なのですが、それに対する個々の反応というのは興味深いものだなあと思います。簡単に言うと、パートナー以外に気持ちが向かってしまうことそれ自体は仕方がないという人と、パートナーを裏切るなんてそもそもけしからんという人と。
結婚あるいは恋愛が、感情の延長線上にあると捉える人と、相手との信頼関係構築プロセスそのものであると捉える人に分かれるのと同じで、後者の人にとっては、決めた相手を裏切るということ自体がルール違反でしかなく、他と恋愛したいなら一旦契約解除すれば良いのでは?という話になります。前者だと、感情なんてどこまでいっても主観的でゆらぎ続けるものですから、結果擁護側に回ることになるのでしょう。
これ、突き詰めたところでおそらく永遠に平行線なんですよね。道徳観には正解がないから……ではなくて、人は自分の主観から抜けられないから、です。特に肉体的な欲望が絡む主観からは抜けるのは至難の業。恋愛感情に重きを置くタイプの人にとっては、信頼関係構築プロセスなんて無味乾燥なものに支配される人生には、おそらく耐えられないのじゃないかしら。
他人の不倫を話題にしながら、多くの人がうっかり自らの恋愛観パートナー観人間関係観(加えて身体的主観までも)をつまびらかにしてしまっているタイムラインを眺める今日このごろ。
私自身は恋愛感情のやりとりよりも、信頼関係構築という日々の積み重ねに喜びを感じるタイプなので、要は結婚に向いてたんだなあと思います。信頼関係の上に生まれる感情は何にも代えがたい喜びですが、恋愛感情ありきの関係は、長くは続けられないなあと思う。
考えてみれば、私は誰かと恋バナに花を咲かせた経験すらほとんどありません。私みたいなタイプに恋愛相談しても、つまらないでしょうしね。
またブログの存在を忘れかけてた。
もはや才能かもしれないと思いながら、こうやって「思い出す」を繰り返すことが、私の悪い癖を正すきっかけになればいいなと期待する。
ここ2週間くらいは体調がよく、頭も比較的クリアで、そうなるとこの先の仕事のありかたなどをイメージする余裕が出てくる。イメージして新しい企画を立てたところで、実際にはまた動けないかも…という不安はあるのだが、そういう可能性というのはたとえ健康な人でも同じなわけで、調子の良いときは素直に流れに乗るのが1番なのだろうと思う。
このところは、私が私なりに蓄積している台灣家庭料理に関する情報;レシピはもちろん、調べる過程で知った文化的背景や豆知識、半ばどうでもいいようなネタなども記録していきたいなとより強く思っている。
より強く、というのは今までだって同じように思ってきたからだ。なのに、ところが、私は記録という作業が大の苦手で実現できない。記録に限らず、「ストック」という概念が苦手なのだと思う。苦手というか、興味が薄いというか、なにか(情報とか記録とかお金とか)が積み重なっていく現象に特段の喜びを感じないのだと思う。ストックが得意な人というのは、例えばじわじわ大きくなっていく預金通帳の数字に、素直に喜びを感じるタイプなのだろう。私だってお金は減るより増えたほうが嬉しいけど、それがなにかのモチベーションになることはほぼない。通帳を閉じた途端に数字は忘れてしまう。
私の頭の中は常にフロー。絶え間なく情報が流れ寄り道し新たな興味を見つけてはそれまで見ていたものを忘れ夢中になる…というのが通常運転なのだ。
この、思考パターンをストック型・フロー型に分けるというアイデアを、私はわりと気に入っていて、うまく活かせないかなあなんて思い巡らせたりする(…というところがすでにフロー型なのでしょう)。
縦横無尽に柔軟に貪欲に立ち止まらずに。
そういう気質を活かしていきたい。
でした。
今年は婦人科オプションをパスして、脳ドッグを追加してみました。
脳になにかあったら困るけど、一方で、眼の病気が実は脳から来てたりしたらむしろ治療の道が開けるのに…とか。おそらくそんなことはないのでしょうけど。
脳ドッグはMRIというやつですね。過去に受けたことがあると思ってたのですが、思ってたのと違ったので、過去のはCTだったのかしら。噂に聞いたとおり、サイバーパンクな音に包まれました。ウトウトしてたらあっという間に終わり。
健康診断項目の中で、1番気分が乗らないのはやはり視力検査で、今回も見えてないんだろうなあ…と思いながら挑みましたが、数字は意外によかった。
ドッグの日は絶食なので、終わったら何か美味しいものを!と思うのですが、今日は脳ドッグまでの待ち時間があったもので、院内のレストランでお腹を満たすことになってしまいました。ハンバーグ、案外美味しかった。
帰りはゴンチャに寄って、シャインマスカット入りの期間限定ドリンクを。本当は明後日くらいから発売だったみたいですが、モバイルオーダーだと注文できたので、そちらでいただきました。そんなこともあるのね。
ゴンチャは飲み物として美味しいと思う。甘さや氷の有無が選べるのもいいよね。
おっと、またこのブログの存在を忘れかけていました。
いつもこんな調子で、さぼり心で三日坊主というよりも、きれいさっぱり忘れてしまってそのままになっていることがたくさんあります。こういうのも「三日坊主」って言うんだろうか。
それから、近視対策ですね。眼を使うときの姿勢に加え、(これは成長期の子供にしか効果がないとは言われているけれど)日光を浴びたり、クロセチンを摂取したり。 少しでも効果があれば良いのですが。
うまく眠れていない状態が続く。
入眠は問題ないのだけど、朝方、首から上、特に頭が極度に緊張した状態で目が覚めてしまう。
肩や首の凝りから来ているのか、年齢的なもの(ホルモンバランスとか)なのか、原因もわからないのでつらい。
漢方にお医者さんにかかってみたり、整体やピラティスに通ってみたり、ストレッチしたり、考えられることはやってるのだけど。
この影響で、常にうっすら頭が痛いのがストレスだし、何より、持病である緑内障に悪影響がありそうで怖いのだ。